■Time Machine 1977-1986 第2回 1977年2月

 70年代半ば、60年代初頭からアメリカとソヴィエト連邦(現ロシア)が競って目指していた有人宇宙計画は、新たなステージへ移行しようとしていた。77年2月、その二つの国の宇宙計画にエポックメイキングな出来事が重なって行われた。77年2月7日、ソ連は、前76年6月に打ち上げられたソ宇宙ステーション、サリュート5号に向けて、ソユーズ24号を打ち上げた。同号は、数ヶ月前にドッキングに失敗したソユーズ23号の代わりに打ち上げられ、翌日にはサリュート5号とのドッキングに成功している。同年2月18日には、アメリカが推し進めていたスペース・シャトル計画を実現させるべく、スペース・シャトル・エンタープライズ号をボーイング747シャトル・キャリアに結合し、初のテスト・フライトを実施している。しかしソ連のサリュート5号は、同年8月に予備燃料が枯渇し大気圏に突入してしまう。ソ連はその後も宇宙ステーション計画は続けたが成功に至らず、98年から始まった米露をはじめとする15ヶ国参加で現在も運用されている国際宇宙ステーションが中心となっている。アメリカのスペース・シャトル計画もまたチャレンジャー号やコロンビア号の事故を経て、2011年8月に計画は終了した。
 大国が宇宙に夢を馳せていた77年2月、のちにこれらの宇宙計画の出来事と同列に歴史的な作品として語られる一枚のアルバムがリリースされた。フリートウッド・マックの通算11枚目のスタジオ・アルバム『噂』だ。67年、ピーター・グリーン(g)とミック・フリートウッド(ds)を中心にイギリスで結成されたフリートウッド・マックは、70年代前半にはメンバー・チェンジが重なり、74年、活動拠点をアメリカに移す。同年末には、リンジー・バッキンガム(g, vo)とスティーヴィー・ニックス(vo)を新メンバーとして向かい入れ、75年7月11日、新生フリートウッド・マックとしての第1弾アルバム『ファンタスティック・マック(Fleetwood Mac)』をリリースした。アルバムは全米1位に輝き、彼らの新たな船出は大きな成功を収めた。そして新生フリートウッド・マック第2弾として発表されたのが、77年2月4日に発売された『噂』(Warner Bros. / K456344)だった。当時、バンド内はリンジーとスティーヴィー、ジョン・マクヴィーとクリティン・マクヴィーの2組が別れ、ミック・フリートウッドも離婚するという全員が精神的に辛い時期だった。しかしそんなバンド内の人間関係は作品作りにいい意味での緊張感をもたらし、かつてないほどの高いクオリティを誇る内容となった。本アルバムからカットされた4枚のシングル「オウン・ウェイ(Go Your Own Way)」「ドリームス」「ドント・ストップ」「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」はどれも全米トップ10に入るヒットとなり、中でも「ドリームス」は全米ナンバー1を獲得。アルバムは全米で31週もの間ナンバー1に君臨。全英でも1位を獲得し、全世界で3000万枚以上を売り上げて、翌78年のグラミー賞の最優秀アルバムも受賞した。
 2枚組のアルバム『眩惑のブロードウェイ』(74年11月)発表後となる75年、ピーター・ゲイブリエルは、結成以来約8年在籍したジェネシスを脱退した。長女が出産時に感染症にかかり生死の境をさまよったことがきっかけとなり、アーティストとしての生活よりも家庭を主体にした生活を第一に考えたことからだった。そのためジェネシス脱退後、約2年ほど音楽活動を休止していたが、77年2月25日、ソロとしてのファースト・アルバム『ピーター・ゲイブリエル(I)』(Charisma / CDS 4006)をリリースし、アーティストとしての活動を再開した。ボズ・エズリンをプロデュースに迎え、ラリー・ファスト(syn)、トニー・レヴィン(b)など、その後もゲイブリエルを支えるアーティストをはじめとして、キング・クリムゾンのロバート・フリップも参加して制作された本作は、ジェネシスの時のような壮大なプログレシッヴ・ロック的な要素は後退し、シングル・カットされた「ソルスベリー・ヒル」や、ラストを飾る「洪水(Here Comes The Flood)」など、ゲイブリエルのメロディ・メイカーぶりが際立った内容となっている。雨の中の車のフロント・ガラスにぼんやりと浮かび上がるビーター・ゲイブリエルが映し出された印象的なアルバム・カヴァーを手がけたのは、ピンク・フロイド作品で知られるストーム・トーガソン。ゲイブリエルのアルバムは4作目までタイトルが付けられていないのでジャケットから本作は通称“カー・アルバム(Car)”と呼ばれている。ジェネシスのサウンドを期待されていたからか、リリース当時の評価はそれほど高いものではなかったが、全英7位・全米38位のヒットを記録。中でも前述の「ソルスベリー・ヒル」と「洪水」の2曲は、その後のゲイブリエルのライヴでも長く定番曲として歌い継がれる人気曲となった。
 70年代半ば頃、前回の当コラムにも登場したラモーンズや、ニューヨーク・ドールズなどとともに、ニューヨーク・パンク・シーンを盛り上げていたのが、トム・ヴァーレイン率いるテレヴィジョンだ。彼らのファースト・アルバム『マーキー・ムーン』(Electra / E-1098)も77年2月8日にリリースされている。70年代初頭、ニューヨークで詩人を志していたヴァーレイン(g, vo)とリチャード・ヘル(b, vo)、ビリー・フィッカ(ds)が結成したネオン・ボーイズは、73年後半、リチャード・ロイド(g)が参加し、テレヴィジョンと名乗るようになった。ニューヨークのクラブを中心にライヴを行っていた彼らは次第に人気を集めるようになるが、音楽性が高まっていく中、過激なライヴを続けるリチャード・ヘルと、残りの3人の間に軋轢が生じ始める。結果75年には、ヘルはジョニー・サンダーズらとともにハートブレイカーズを結成。ヘルの代わりとして、短期間ブロンディーに在籍したフレッド・スミスが参加することになった。同年、デビュー・シングル「リトル・ジョニー・ジュエル」をリリースした後、77年にようやくデビュー・アルバムとなる本作を発表した。
 テレヴィジョンは、ニューヨーク・パンクを代表するバンドとして挙げられてはいるものの、『マーキー・ムーン』は、パンク的なスピード感や破壊的なイメージとはかけ離れた内容で、詩人も目指していたヴァーレインのフランスの詩から影響を受けた、都会的で、二重表現も使った印象的な詩と、ジャズやアヴァンギャルドを取り入れたメロディやインタープレイは、アート・ロック的な雰囲気さえ漂わせている。テレヴィジョンは残念ながら、次作『アドヴェンチャー』で解散してしまうが、本作はのちのニューウェイヴやオルタナティヴ・ロックに大きな影響を与えた一枚としてロック史にその名を残す作品となった。
 77年2月には、その他にも18日にセックス・ピストルズやクラッシュとともにパンク・ロック三大バンドの一つにも挙げられるダムドの『地獄に堕ちた野郎ども(Damned, Damned, Damned)』(Stiff / SEEZ 1)、3日には、次作『蒼ざめたハイウェイ(In Color)』で日本で人気が爆発するチープ・トリックのセルフ・タイトル・アルバム(EPIC / PE 34400)、25日にはニューウェイヴ・シーンの先駆となるウルトラヴォックスの『ウルトラヴォックス!』(Island / ILPS 9449)など、70年代後期から80年代初頭にかけてシーンにおいて重要な役割を果たすグループのデビュー・アルバムが相次いでリリースされている。
 また、1日にはロキシー・ミュージックのフロントマン、ブライアン・フェリーの4枚目のソロ・アルバム『イン・ユア・マインド』(Polydor / 2302 055)、11日には、ジェスロ・タルの通算10作目となる『神秘の森〜ピブロック組曲(Songs From The Wood)』(Chrysalis / CHR 1132)などがリリースされている。

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