■Time Machine 1977-1986 第7回 1977年7月

 近年、地球温暖化が叫ばれて久しく、日本でも夏になると毎年のように最高気温や連続真夏日などの記録更新のニュースが流れる。40年以上も前となる1977年7月10日、ギリシャでヨーロッパ大陸での最高気温となる48°Cを記録した。ギリシャは普段の7月の平均気温が28°だというから、それがいかに殺人的な気温だったか窺える。ギリシャ南部は地中海に面する地形から、ヨーロッパの中でも比較的暖かい国と言えるかもしれないが、ここ数年は、イギリスやスウェーデンといった7月の平均気温が20°に達しなかった国においても、30°超えの日が続く厳しい夏になることもあるという。ヴェネツィアが水没してしまう頻度も高くなっていて、地球温暖化の影響はさまざまな場所で間違いなく起こっている。とはいえ、ヨーロッパ大陸の最高気温は、77年7月10日に記録されたこのギリシャの48°は未だに破られていない。
 77年7月15日、イエスは、前作『リレイヤー』から約2年半ぶりとなる通算8枚目のアルバム『究極(Going For The One)』(Atlantic / K50379)をリリースしている。
 前々作『海洋地形学の物語(Tales From Topographic Ocean)』(73年12月)リリース後、同作に不満を抱いていたリック・ウェイクマンは、73〜74年にかけて行われたツアーを最後にイエスから脱退してソロ活動に移行。74年5月にリリースしたソロ第2弾『地底探検(Journey To The Centre Of The Earth)』は、全英ナンバー1を獲得し、順調なソロ活動を続けていた。
 一方のイエスは、ウェイクマンの後任として、レフュジーのキーボーディストとして活動していたパトリック・モラーツをリクルート。74年8月末からレコーディングを開始し、同年11月、7作目のアルバム『リレイヤー』を発売した。その後74年末から75年にかけて、『リレイヤー』に伴うツアーを行った後は、全メンバーそれぞれがソロ・アルバムを制作・発表している。76年にはピーター・フランプトンとの北米ツアーを行い、フィラデルフィアでは10万人以上を動員した。同年末、彼らはスイスに渡り、モントルーのマウンテン・スタジオで本作のレコーディングをスタートさせた。この時のデモをジョン・アンダーソンがリック・ウェイクマンに送っていて、それを聴いたウェイクマンが戻ってもいいと考えた結果、パトリック・モラーツが解雇され、ウェイクマンが復帰することになり、『究極(Going For The One)』はウェイクマンのイエス復帰作となった。

 ウェイクマンが復帰したこと以外に、この『究極』でイエスが大きく変えたことが二つあった。これまで長く彼らの作品をプロデュースしてきたエディ・オフォードと、同様にこれまで彼らの作品のカヴァー・デザインを手がけてきたロジャー・ディーンとの訣別だ。本作は、彼らにとって初のセルフ・プロデュース作であり、アルバム・ジャケットのデザインはヒプノシスに初めて依頼している。『海洋地形学の物語』で重厚長大になり過ぎたという批判も受けた彼らは、今作では一つの大きなコンセプトを持たせず、比較的短い親しみやすい楽曲も収録されている。本作からカットされたシングル「不思議なお話を(Wonderous Stories)」は全英チャートの7位に入り、イギリス国内では彼らにとって最高位のヒット曲となった。アルバムもまた、全英1位・全米8位を記録する成功を収めている。

 77年7月、パンク・ムーヴメントの波が訪れていたイギリスに、その後長く愛されるアーティストがまた一人デビューを飾っている。76年に設立されたばかりのインディー・レーベル、スティッフ・レコーズから、7月22日、ファースト・アルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー(My Aim Is True)』(Stiff / SEEZ 3)をリリースし、デビューを飾ったエルヴィス・コステロだ。
 70年頃からロンドンやリヴァプールなどのパブを中心にライヴを行っていたコステロは、デモテープを送ってレコード会社との契約を望んでいたが、なかなか上手くいっていなかった。76年にスティッフ・レコードが設立されると、早速デモを送り、当初はソングライターとして契約を獲得したが、77年3月、ソロ・アーティストとして先行してシングル「レス・ザン・ゼロ」をリリース。同5月にも「アリスン」も発売するが、チャートに入ることはなかった。しかし、スティッフがアルバムを制作することを決定。働きながら音楽活動をしていたコステロは仕事を辞め、プロのミュージシャンとしての本格的なスタートを切った。
 パブ・ロックを代表するアーティスト、ニック・ロウをプロデュースに迎え、その後ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとなるクローバーがバックを務めた本作トータルで24時間ほどで制作されているものの、リンダ・ロンシュタットにカヴァーされた「アリスン」や「レス・ザン・ゼロ」「レッド・シューズ」など、長く愛されるコステロらしい名曲が揃っている。ホークウィンドやエドガー・ブロートン・バンドなどを手がけたバーニー・バブルスによるスタイリッシュなアルバム・カヴァーは、バディ・ホリーを真似たスタイルとともにコステロを印象づける一枚となった。コステロのサイトによれば、その後長く彼のバック・バンドを務めることになるジ・アトラクションズを従えてリレコーディングされた本作のヴァージョンがあるらしいが、それは未だに発表されていない。全英14位・全米32位を獲得している。
 71年発売のアルバム『つづれおり』の大ヒットで、アメリカを代表するアーティストとなったシンガー・ソングライター、キャロル・キングの通算8枚目となるアルバム『シンプル・シングス(Simple Things)』(Avatar/Capitol / SMAS-11667)も77年7月にリリースされている。前作『サラブレッド』を最後に、デビュー以来在籍していたオード・レコードを離れ、名作『つづれおり』以来タッグを組んできたルー・アドラーとも別れたキャロル・キングが、コロラドに移住し、その後キャロルの夫となるリック・エヴァースと組んで制作したアルバムで、キャピトル・レコードがディストリビュートする新レーベル、アヴァター移籍第1弾。アルバム・タイトル曲や「ホールド・オン」などエヴァースとのコラボ作をはじめ、「ハード・ロック・カフェ」「イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」などキャロルのソングライターとしての力量が発揮された佳曲が並び、全米17位、ゴールドディスクも獲得したものの、キャロルにとっては『つづれおり』以来初めてベスト10内に入らなかった作品となってしまった。
 77年7月7日には、アメリカン・プログレ/ハード・ロックを代表するバンド、スティクスの通算7枚目のアルバム『グランド・イリュージョン〜大いなる幻影(The Grand Illusion)』(A&M / SP-4637)がリリースされている。72年、セルフ・タイトル・アルバムでデビューしたスティクスだったが、商業的には大きな成功を手にできずにいた。6枚目となるアルバム『クリスタル・ボール』からオリジナル・メンバーのジョン・クルリュスキに代わって、ヴォーカル兼ギターのトミー・ショウが参加。ソングライターも務めるショウの加入によって、楽曲もサウンドも多彩となり、幅広いリスナーを獲得。本作でよりポップでメロディアスな楽曲が増え、シングル・カットされた「永遠の航海(Come Sail Away)」「怒れ!若者(Fooling Yourself〈The Angry Young Man〉)」がそれぞれ全米8位、同29位に入るヒットとなり、アルバムも全米6位を獲得する成功を収めた。本作をきっかけに彼らは70年代後期から80年代にかけての隆盛期を迎えることになる。
 77年7月27日には、グレイトフル・デッドの通算9作目で、アリスタ移籍第1弾となるオリジナル・アルバム『テラピン・ステーション(Teerrapin Station)』(Arista / AL 7001)がリリースされている。74年のライヴを最後にツアーを停止していたグループは、約2年の活動休止期間経て76年にツアーを再開。アリスタと契約を結び、本作をリリースした。全米28位。
 70年代、日本でも女性に高い人気を誇ったスコットランドのグループ、ベイ・シティ・ローラーズの5作目のアルバム『恋のゲーム(It’s A Game)』(Arista / SPARTY 1009)も77年7月のリリース。全英18位・全米23位を獲得するヒットとなったものの、デビュー時ほどの成功は得られず、次作『風のストレンジャー(Strangers In The Wind)』を最後に失速してしまった。
 そのほか77年7月には、米シンガー・ソングライター、ハリー・ニルソンの通算14作目となるアルバム『クニルソン(Knnillssonn)』(RCA / AFL1-2276)や、ビー・バップ・デラックスの初のライヴ・アルバム『ライヴの美学(Live! In The Air Age)』(Harvest / SHVL 816)などがリリースされている。

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