至福の記録 (Notes From Cloud 9) 第2回 Paul, Ram On ! / ポール・ラム・オン!
至福の記録 (Notes From Cloud 9)
第2回 Paul, Ram On ! / ポール・ラム・オン!
第2回 Paul, Ram On ! / ポール・ラム・オン!
文◉Michael Bjorn(ミカエル・ビョルン)
1971年5月17日、ポール&リンダ・マッカートニーのアルバム『ラム』が発売されました。 当時、私は9歳で、本格的なポップ・ソングのシングルはモンキーズという偽物のグループしか持っていませんでした(誤解しないでほしいのですが、私は今でもモンキーズが大好きです)。父のクラシック音楽の影響で、私はまだビートルズとは遮断されていて、音楽ジャーナリストたちがポール・マッカートニーの2枚目のソロ・アルバムに浴びせていた罵詈雑言にも幸せなことに気づいていませんでした。ポールはビートルズがうまくいかなかったすべてのことの責任を負っていて、その上、ジョン・レノンがクールだったのに対し、彼はうさんくさいところがありました。そしてなんでそんなばかげたポップ・ミュージックを作ったのでしょう!
3年後、私は同じように、批判的な軽蔑と罵倒の結果として、マッカートニーがこのアルバムに背を向けて前進したことを知りませんでした。その頃、私は学校の友だちの家で過ごすことが多くなっていました。そこでは、私たちや友だちのお兄さんはまったりとしていて、何をやってもいい雰囲気でした。
そのお兄さんはハード・ロックに夢中で、ナザレス、キッス、レッド・ツェッペリン、ブルー・オイスター・カルトなどのアルバムを持っていました。お兄さんがいないときには、彼のレコードをかけてはいけないと言われていました。しかし、彼がかけても気にならないほど軟弱なアルバムが何枚かあったので、それはかけることができました。そのうちの1枚がポール&リンダ・マッカートニーの『ラム』でした。レコード・プレイヤーがあったのは地下の洞窟みたいな部屋で、そこで遊んでいるときによくかけていました。タバコが転がっていたり、友人のお兄さんが置いていったビールやワインの瓶があったりして、当時はワクワクするような部屋でした。
けれどもやがて『ラム』の音楽に気づき始めたのです。そしていつしか、タバコの禁断の匂いよりも、その地下室で過ごしたいと思うようになったのです。もちろん、それまでにもポップ・ミュージックはたくさん聴いていましたが、それは主にシングル曲やヒット曲中心のラジオ番組でした。ユーロヴィジョン・ソング・コンテストで有名なニュー・シーカーズのアルバムや、モンキーズの『灰色の影(Headquarters)』は持っていましたが、『ラム』は私が本当に夢中になった最初のアルバムでした。そして、私は夢中になりました。
午後はほとんど友人の家で過ごしていたんですが、私はこのアルバムをずっとかけていたいと主張していました。そのうちにみんなこのアルバムをかけさせてくれなくなり、友だちのお兄さんは、どうせこのアルバムには興味がないからと、家に持って帰って聴いていいことになったのです。今でもボロボロになったそのアルバムを持っていて、同じように大好きなアルバムのままです。10ccの『びっくり電話(How Dare You)』とともに、他のすべてのレコードの基準となりました。以来、いくつかのアルバム(ポール・マッカートニーが在籍していたビートルズのアルバムを含む)が重要な基本リストに加わりましたが、『ラム』は今でもその中心的な存在です。
1.Tim Christensen, Mike Viola & Tracy Bonham With The Damn Crystals / Pure McCartney / Mermaid Records / 12 February 2013 (recorded 18 June 2012)
2.Various Artists(produced by Fernando Perdomo and Denny Seiwell): RAM ON / A 50th Anniversary Celebration of Paul & Linda McCartney’s RAM / Unicorn Music /14th May 2021
3.Paul & Linda McCartney / Ram(50th Anniversary)UME / 14th May 2021
私の『ラム』に対する評価はずっと少しも変わっていませんが、世界の人々の『ラム』に対する考え方は変わりました。このアルバムはもはや醜いアヒルの子ではなく、美しく成長した白鳥であり、多くの評論家がビートルズ以後のマッカのベスト・アルバムとして評価しています。また、当時は(たとえばリンゴから)よい曲がないと非難されていましたが、今では美しいメロディがあると評価されています。また、(ジョン・レノンがBGMと比較するなど)安易だと軽蔑されていましたが、最近では、特に実際にこのアルバムを聴いた人たちによって、意欲的な構成だけでなく、カヴァー・アートがスコットランドの農場の生活を描いている一方で、全体的に洗練されていると賞賛されています。これは実際、1970年の『マッカートニー』のようなアマチュアの自宅録音ではなく、ニューヨークのセッション・ミュージシャン(皮肉にもレノンのアルバム『マインド・ゲームス』で起用されたギタリストのデヴィッド・スピノザも含まれています)と一緒に録音されたものです。また、ジョージ・マーティンによるオーケストラ・スコアをポールが指揮し、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団よってレコーディングされ、エイリック・ワンバーグが慎重にミックスしています。ワンバーグは、ビーチ・ボーイズの“スマイル”セッションやアルバム『スマイリー・スマイル』の共同プロデュースも手がけています。
もちろん、あらゆる偉大なポップ・アルバムのように、『ラム』におかしなところがないというわけではありません。タイトル曲は「ラム」ではなく、シルヴァー・ビートルズ時代のマッカの芸名である“ポール・ラモーン(Paul Ramon)”にちなんで「ラム・オン(Ram On)」と名付けられています。また、彼はこのアルバムを安っぽいオーケストラのイージーリスニング・ヴァージョンで録音していますが、これは6年後に『スリリントン』として陽の目を見ることになりました。
しかし、おそらく業界のクールな人々から最初に与えられたこの作品のステータスが信じられないほど低かったため、マッカートニーはライヴ・パフォーマンスで疫病神のように避けてきました。その代わりに、他のアーティストがステージ上でこのアルバムに敬意を表してきました。具体的には、ティム・クリステンセンとマイク・ヴァイオラは、マッカが70歳を迎えたその日に、コペンハーゲンのVegaで、1回限りのトリビュートコンサートとして『ラム』を最初から最後までフル演奏しました。この模様は1年後に『Pure McCartney』としてリリースされています。そのコンサートについてティムにインタビューした際、サー・ポール・マッカートニーは確かにパーティに招待されていましたが、なぜか姿を現さなかったと言っていたのを覚えています。
そして、いよいよ『ラム』は50歳の誕生日を迎えることになりました。ビートルズのスーパーファンであり、LAの音楽シーンの中心的存在であるフランク・ペルドモと、アルバム『ラム』のオリジナル・セッション・ドラマー、デニー・シーウェル(『ウィングス・ワイルド・ライフ』や『レッド・ローズ・スピードウェイ』に参加)が、多くのアーティストの協力を得て、『ラム』をスタジオ・アルバムとして最初から最後まで完全に再現しました。デヴィッド・スピノザはオリジナルのギター・パートをすべて演奏し、マーヴィン・スタムは「アンクル・アルバート〜ハルセイ提督」でフリューゲルホルンを再演しています。他にも、ブライアン・ウィルソンの娘であるカーニー・ウィルソン、ピクシーズのジョー・サンティアゴ、デス・キャブ・フォー・キューティーのデイヴ・デッパーなど、多数のゲストが参加しています。このトリビュート・アルバムには、『Ram On』という長いタイトルが付けられています。
また、50周年記念盤がなければ50周年記念にはならないので、この必携アルバムをまだお持ちでない方は、誕生日パーティが始まる数日前にハーフ・スピード・マスタリングのレコードを手に入れることができます。私は5月17日にお祝いするつもりですが、もしかしたらポールもお祝いするかもしれませんね。
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